社団法人日本青年会議所 印刷部会

創立45周年座談会

 日本青年会議所メディア・印刷部会が創立四十五周年を迎え、六月二日、東京・飯田橋のホテルグランドパレスで記念行事が行われました。その際に中原部会長はじめ、歴代部会長の方々による、「これからの日本JCメディア・印刷部会を考える」をテーマに、語り合った内容を掲載しております。
(日本印刷新聞社取材)

 

 はじめに、中原部会長から、
  メディア・印刷部会の現状についてお話しいただきたい。

第45代部会長
中原 一彦

 現在、メディア・印刷部会は社団格のない任意団体となっている。四年前、社団法人日本青年会議所(以下、日本JC)から「全部会が社団法人としての会計処理を行えない」ことを理由に、部会を正規団体から外し、名称に社団をつけることを禁じられ、各部会とも社団のつかない分科団体というのが日本JCにおける位置づけである。その当時、当部会でも社団格の必要性について協議した結果、社団格なしでの活動をご了解いただいた。昨年末、社団の必要性のある一部の部会が先頭となって、正規団体として社団格をつけることを再度認めてもらうため、日本JC側と交渉したが認められなかった。
このような中、現役会員の減少が深刻化している。現在の会員数は三百人近くいるが、現役会員はそのうち四十人で、実際に活動に参加しているのはわずか十人程度である。スタッフが足らず、ごく一部の人たちだけで活動しているのが実情である。これまでも会員拡大運動を続けているが、日本JC自体の会員が減り続けている中、なかなか入会してもらえない。仮に入会しても、ほとんどが三十歳代後半なので、一年ないし二年ぐらい活動するとOBになってしまうので、引き継ぎもできない。私自身、三十八歳なのであと一年で定年を迎えるが、後ろを見ると数名しかいない。今年度、東京で若干名の加入があり、なんとかやりくりできているが、来年、再来年を見据えた場合、会の運営に支障を来たしてくるのは予想できる。
そこで解消策の一つとして、今年度は「会則の見直し」を計画している。具体的には、現役会員の四十歳定年をなくすことで、三百人すべてが現役会員となり、全体的に皆で取り組めば会ももっと盛り上がるのでないかと考えている。
 ただし、最初に話した日本JCとの関係もあり、現在は任意団体扱いだが正規団体に戻る可能性もまだ残っており、その場合は会則の見直しはできないので、まずは現役会員としてどのようにして会員を集めていくのかを考えなければいけないと思っている。
 そこで、今年度の方針の一つに各地区、各LOMにおける印刷部会の立ち上げを検討している。地区ごとの会員拡大と、日本JCとどのように連携を図っていくかというスタンスをいかに確立していくかということが大事だと考えている。四十五周年の節目にもう一度、部会運営の見直しを図っていければと思っている。 この機会に、諸先輩からこれまでの経験などからいろいろなご意見をお聞かせいただければ、全国の会員にも発信でき、五十周年に向けて活性化ができるのではないか。

 

 では、一九八三年度に
   部会長を務めた新里社長からご意見をお聞きしたい。

第21代部会長 新里 時夫 先輩
第21代部会長
新里 時夫 先輩

 はじめに当部会のバックボーンとして、日本JCの活動があることをぜひ理解してほしい。日本JCは、基本理念として、活動の基本を「修練」「奉仕」「友情」に置き、会員は明るい社会を築き上げることを共通の理想としている。また、会員相互の啓発と交流を図り、公共心を養いながら、地域との協働により社会の発展に貢献することを目的に青少年事業、国際交流、ボランティア、募金活動、自己トレーニングなどの活動を行っている。とくに、塩澤好久氏が初めて企画した選挙前の候補者討論会などは大変良い活動であり、中立のJCが主催することにより、今では全国各地で行われるようになった。また、現在も続いているわんぱく相撲大会には、当時、企画を考えた五人のメンバーの一人として私も関わったこともあり今でも人一倍の思い入れがある。
 JCは、非常に優れた機能的な組織ルールを持っていて、一年限りで組織を作り、計画を立てて、グループのメンバーのモチベーションを高めながら、いろいろディスカッションしながら一年間で計画を遂行するという優れたプログラムを毎年繰り返して行っている。そういう中で、トレーニングされた人たちが、業界、地域社会、会社の発展に貢献するという非常によいものを持っている組織の一つである。
その中で、当部会は印刷関連業のメンバーが集まって業界に対する活動をするために作っている業種別部会の一つであるということ。
例えば印刷業界の中では全国印刷緑友会や全青協などと同じテーブル上で比較されるが、当部会の場合、バックボーンとしてJC活動でトレーニングされているということに大きな意味がある。
今回の日本JCの業種別部会に対する社団格取り消しについては、日本JCのリーダーシップのとり方が間違っている。もし、会計処理に問題があるならば、きちんとさせるべきであり、問題があるから社団格を外すという考え方は間違っている。
 一方で、部会側から見ると、当部会の場合、他の部会に比べて非常にアクティブに活動して今日まで続いているが、JC的な考え方からいえば、メンバーの掌握や会費の徴収が当部会でもあいまいになってきている部分があるので、そこのところを根本的に確認して実行すること。そういうベーシックな部分はJC的に確実に行うこと。活動に関しては、先ほど中原部会長が主要都市の会員のグループ化を図り活性化を図ろうというのはとても素晴らしいことであり、思い切ってやってもらいたい。
シニアメンバーには、企業活動、地域活動を活発にしている先輩が沢山いるので、もっと緊密にコミュニケーションをとってお手伝いをお願いするなど、積極的に近づいたほうが、いろいろな意味で現役メンバーにとってもよりやりがいの出る部会活動になるのではないか。

 

 一九九〇年度に
   部会長を務めた熊谷社長に当時の活動状況をお聞きしたい。

第28代部会長 熊谷 晴樹 先輩
第28代部会長
熊谷 晴樹 先輩

 私の所属する仙台JCには印刷部会のメンバーが非常に多く、当時はJCに入会するということは印刷部会に入会するという状況がしばらく続いた。横のつながりが強く、印刷部会のメンバーにJC入会を勧められるので、印刷部会へも自然に入会した。
部会長当時は、東京、大阪、仙台がLOMで結構まとまっていて部会活動も活発だった。一方、名古屋はメンバーは多いもののLOMとしての活動は消極的だった。LOMによって活動に偏りが出てきたので、活動エリアを広げるため、福岡の原先輩の協力を得て、九州地区の会員拡大に努めた。
  しかし、仙台でもいつの間にかJC入会イコール印刷部会入会というのがなくなり、現役メンバーが少なくなってきた。

 

 城戸社長が部会長を務めた
   一九九二年度は、創立三十周年の年ですね。

第30代部会長 城戸 高史 先輩
第30代部会長
城戸 高史 先輩

 創立三十周年の時がついこの前のことのように思っていたが、もう十五年も経過した。中原部会長は当時二十三歳だったわけで隔世の感がある。JCの一つの特徴としていろんな業種の方がおられるというに尽きる。日頃、接点がなかなか持ちようのない方たちとの出会いが沢山ある。たとえば、大企業のサラリーマンの方もおられれば、老舗の鰻屋の何代目、個人でやっている弁護士や社会保険労務士の方など、多種多様な、日頃接点の持てないような人たちと接することができるのが大変な魅力だと思う。仕事に関連した業界の集まりというのはもちろん仕事を軸をしているので、いわばベクトルの縦と横のようなもの。たとえば縦のベクトルが印刷部会の集まりだとしたら、JCのほかの部分というのは横のベクトルになる。本人が実力をつけるためには、「縦のベクトル」×「横のベクトル」の積算だと思う。どんなに縦のベクトルを積み上げても、横のベクトルがないとかけた数は大きくならない。印刷部会は、横のベクトルを沢山持った人たちの縦の集まりであるというのが、他の青年団体とは違うところではないか。
 もともとJCでは直接ビジネスをやらないという不文律がある。そういう縛りの中での同じ業界、ビジネスフィールドの人たちとの付き合いなので、良い意味ではあまりガツガツした話にならない。集まった時にまったく印刷関係の話にならないことはよくあることだ。これはある面では非常に良いことだし、少し物足りない所もある。こういう付き合いをしながら、実は横のベクトルもどんどん広げていって、この人は印刷関連の話だけでなく、いろんな人と交流できている人たちが集まっている。何かあった時に強力なコラボレートができる、ポテンシャルを秘めた団体である。
 もう一つは、先ほどの話とはアベコベだが、JC活動というのはある面、世の中と乖離した部分があり、世の中を変えようというのはいいが、やっていることそのものはあまり効果となって表れない。したがって、四十歳で定年を迎えるころになると、ちょうどそのことに気づき、定年を機にJC活動から離れる傾向がある。
しかし、部会だけはビジネスという媒介があるので四十歳だからそろそろいいかというわけにはいかない。いいにつけ、悪いにつけ離れられない部分がある。JC活動が四十歳で遠のいても、印刷業を続けていく以上、印刷部会の付き合いだけが残る。これが大変息の長い付き合いで、しかもガツガツしていないので無理なく付き合える。さらに全国に友人ができるのが大変な魅力だと思う。
  だから、印刷部会という存在は、役に立とうと考えたときに本当に役に立つことができる。そういった潜在的な力を持った集まりは非常に尊く大事なものだと思う。私もJC活動はほとんどしていないが部会活動には参加している。何かあったら非常に頼りになる人たちであり、仕事の話がなくても横のベクトルの広い、見識と人脈を持っているのでいつまで経っても飽きないし、教えられることが多い。それによって自己啓発して会社だけでなく印刷業界のお役に立てればと考えている。

 

 江端社長は城戸社長の次の年
  一九九三年度に部会長を務められました。

第31代部会長 江端 茂義 先輩
第31代部会長
江端 茂義 先輩

 先ほど、中原部会長が冒頭に言われた「現役会員の減少」は当時もあった。部会を開催しても参加者が少なく、しかもOBの方が多かった。私は熊谷先輩が会員を増やせというのに乗っかって増えた人間の方で、二年前ぐらいに入会し、名古屋で会員を増やすためには部会長になるのが一番良いといわれて、勢いで部会長をお引き受けした。当時、業種別部会の会議に出席した時に思ったのが、印刷部会と言うのは、年に四−五回会合を開いている。これは全員を対象にしており、いわば全国大会みたいなもので、それを一年に四−五回開く部会などなく、参加者は少ないけれど活発な部会だった。その点で他の部会からビックリされた。
  現役を増やすことにはわれわれも努力した。しかし、たとえばJCに入ってて、さらにJCの中でもう一つの会に入るというのは非常に難しい。仙台JCのように必然的になっていればいいが、すでにJCに入っているのだから、それで十分ではないか。とくに名古屋には而立会という組織があり、そこで会っているので、その上で、さらに印刷部会にも加入するというのは非常に少ない。

名古屋のJCメンバーの集いはあるのですか?
「名古屋印刷部会」があるが、名ばかりで、会費も集めていないし、活動もしていないが、名古屋JCのメンバーとしてはいつも顔を合わせており活発に活動している。

 

 萩原社長は、さらに江端社長の次の年
   一九九四年に部会長を務められました。

第32代部会長 萩原 誠 先輩
第32代部会長
萩原 誠 先輩

 今でもJCで培ってきた人たちはいろんなトレーニングをされていたり、リーダーシップがあったり、印刷だけでなく、本当にいろんな業種の方が多いので、今でもJCのネットワークで知りたい情報がリアルタイムで入手できる。部会の仲間は本当によく勉強しているので、いまの自分にとっても大変有り難い。
 先ほど、城戸社長がいわれたように、私もJCを卒業して十年以上になるが、JCの仲間といろいろお付き合いしたが、結局本業が印刷なので、本当に長くお付き合いができるのが印刷部会のいいところだ。
 部会長の時はちょうどバブルが崩壊して景気が結構悪くなり、その時何が必要かと考えた時、やはり経営者は元気がない駄目だと思い“元気の出る印刷部会”をスローガンに掲げた。皆で切磋琢磨しながらいろいろな勉強会も企画した。もちろん懇親も大事だが、参加したら元気がもらえるような活動を心がけた。とくにディズニーランドで家族会を企画した時には、全国から多くの仲間が家族連れで参加し、大変喜んでくれたのを今でも覚えている。今でも自分のベースは印刷部会の仲間である。現在、印刷関連団体でJC出身者がトップを務めるケースが増えていることからも、JCで培ったものが今の時代に求められているのではないか。
  ここで、中原部会長にお願いがある。悩みとか問題はいつの時代もあり、会員の減少や社団格の問題などはいわば内部の問題である。それよりもメディア・印刷部会がどこに向かうのかという明確な理念が大事だと思う。困難な時代を乗り越えるために活性化していくことを明確に打ち出せば皆も賛同してくれる。そうすれば、その後の組織強化も後からついてくるはず。会員拡大が印刷部会の目的ではないはず。中原丸に乗った人間とどこに向かい、印刷部会が何を目指しているのかをもっと前面に出せば、中原部会長が言わなくても皆が応援してついてくる形になっていく。

 

 中本社長は二〇〇一年度に部会長を務められました。

第39代部会長 中本 俊之 先輩
第39代部会長
中本 俊之 先輩

 私は九二年に広島JCに入会し、九四年に日本JCに出向した時に初めて印刷部会を知った。当時、秋口の卒業式は名古屋で行っていた。そこで、江端社長をはじめ非常に“怖い先輩”が大勢いて、本当にこれが印刷部会なのか思ったのが第一印象だった。そして翌年の九五年に入会した。中国地方からの部会長は初めてのことで、仙台、東京、名古屋、大阪のように地盤がまったくなく、かばん持ちもいなかったので、地元広島JCの仲間二人を無理やり入会させて形だけは何とか作った。地場のお役に何とか立てるように地元企業を中心にセミナーや見学会を開いた。当時、広島県印刷工業組合の青年部にも所属していたので、近隣の県の青年部とJCの各県メンバーとリンクさせようと考え、あえて、全印工連加盟の企業を見学先に選んだ。私のころから会員拡大は今以上の問題で、現在、中原部会長が九州地方の掘り起こしを進めているが、その足がかりとして、中国地方の掘り起こしに取り組んだ経緯がある。
 二〇〇一年の秋口に全青協の全国大会が大阪で行われた時に、はじめてプリント4という名前が出てきた。青年四団体が皆で一緒にやろうと盛り上がりを見せ始めたころである。
 現役会員の減少、OB会員とのリンクについて、中原部会長がかなり悩んでいるのは前から聞いていた。今年一月に青年五団体主催で宮崎で行われた「プリントネクスト」の開会あいさつの中で会則の見直しに関する発言をしたのも当然だと思う。たとえば、当日の登録者数は六百人近かったが、当部会から登録したのはわずか三人だった。青年五団体の中で役割も果たせず、日本JCメディア・印刷部会として今後どうするのかというのが非常に大きな問題になった。
  私にとって十一年間のJC活動は宝物であり、一生付き合える友達ができた。ぜひ、どういう形であっても印刷部会を残してもらいたいと強い気持ちも持っている一人である。

 

 メディア・印刷部会の将来を考えると、
  明確な理念が必要とのことですが、具体的にどうあるべきか。

 (新里先輩)
 
あくまでもJCの基本的なスタンスに則って、運営すべきだと思う。前年度、印刷部会から「メディア・印刷部会」に名称変更したが、それによって新しい活動方針や理念があまり見えてこない気がする。せっかく名称変更したのだから、それに則って新しい活動方針を打ち立てて、それを目標の一つに掲げてもらいたい。
現役会員だけでの運営が非常に厳しいので現役とOB 会員の垣根を取り払いたいという意見が出たがそれは止めてもらいたい。やはり、JCの組織なので、「単年度制」と「四十歳定年」という大きなルールに則ってやってきた良さというものが沢山ある。積極的に参加しているOBも沢山いるので、現役とOBのルール上の垣根を取り払うという発想はぜひ止めてもらいたい。その上で、しっかりした理念を掲げて、それを強く推し進めることによって現役会員もOB会員も応援できる。
  会員の多重所属問題が度々出てくるがこれについては仕方がない。もともと緑友会という任意団体があって、日本JCにメディア・印刷部会があり、青年団体として常に出てくるようになった全印工連・全青協というのは私が作った。当時の松島義昭全印工連会長に組合としての青年会組織を作りたいというご依頼を受けてお手伝いさせていただいたが、この時、まさにブロックごとに中心になってお願いしたのがJC印刷部会のつながりの人たちだった。全青協というのは組合の中の機能組織なので、メンバーのコミュニケーションを中心にした組織ではない。同期で全青協議員となった人たちがコミュニケーションをとれて、その後いろいろつながりを持てているというのは多々あるが、組合の機能組織として作ったので、緑友会やJC印刷部会とは、メンバーのつながり方意識はかなり違うので、それはそれで必要なものであり、同じ土俵で論じるものではないと思っている。しかし、先ほどのプリントネクストの登録数の問題など、現実的にはバックボーンとして(所属する団体からの)補助金がある団体からの登録となるのは仕方ない。

 

 単年度制では、何もできないという声もありますが。

(萩原先輩)
単年度制は、自分の想いを出せて、一年で完結するのがいいところである。
(中本先輩)
ただ、現役に近い者として、本当に現役メンバーがいない。会員拡大というのはいろいろやってはいるが、どうしても三十歳後半のメンバーが入っても一、二年で定年になるともう参加しなくなる。現在、九州地区の会員拡大に取り組んでいるが、立派な先輩が大勢いらっしゃるのに、部会活動に参加する現役メンバーがいない。そうすると、どうしても東京頼みになってしまうが、その東京ですら新入会員が頭打ち状態になりつつある。中原部会長が卒業したら、それこそもういない。あの部会長は誰だと言う感じになる。その問題について今からどうすればいいのか切実な問題である。
(城戸先輩)
現役会員の減少はある程度仕方ないのではないか。たとえば、私の入っているロータリークラブは、大阪で二番目に古く、最盛期には二百人近いメンバーがいたが、現在は百三十人で減少に歯止めがかからない。魚のいない所で魚を探しても仕方がないので、毎年、一人でも入会すればよいと割り切って泰然としていればよい。
 

 実際に会合に出てくる現役メンバーはどれくらいですか。
  魅力がなくなって他の物にとって代わられているわけではないのだから。

(中原)
十人いるかいないか。
(熊谷先輩)
仙台のことをいえば、数年前から現役が五、六人になっている。OBは大勢いるので、仙台だけのことを考えたら東京JC印刷部会のように現役とOBの垣根をなくすような形にしないと、結局、OBになって声がかからなくなるとだんだん参加しなくなる。
もう一つは、われわれの後継者が業界に入ってくる年頃なので、これから先に、確実に加入してもらうことが大切ではないか。
(新里先輩)
当然家業を継ぐかどうかの問題もある。また、われわれのころと比べて、選択肢が増えている。われわれのころはJCしかなかったが、今は法人会にも青年会がある。また、学校を卒業してすぐに家を継ぐというのも少ない。
(中原) 
そう意味で言うと、印刷業に似た分野としてWebやホームページ関係も会員とするために、名称変更したという経緯があるが、そのあたりの囲い込みがうまくできていないのが現実である。
(萩原先輩)
「メディア・印刷部会」の「メディア」とは一体どのあたりまでを含んでいるのか。明確な理念、方針、計画があればまだ違う勧誘方法があるのではないか。もちろん、環境が変わって組織も変えなければならないかもしれないが、まずはやるべきことをやらないといけない。本当に会員拡大の方法はほかにないのか。せっかくメディアと対象を広げたのなら、その業界に対して何かアクションを起こしたのか。それでも駄目だったらまた皆で考えればいい。
(中原)
たしかにわれわれの過去を振り返ってもあまりPR活動に積極的ではなかったのは否めない。実は他団体の方からJC会員でもメディア・印刷部会の存在すら知らない人がいると指摘されたり、地方にいくほど知られていないのは事実である。私も最初は下関JCに所属していたが日本JCに出向して部会の存在を知り、理解できた。それまでは日本JCとか部会というと敷居が高かった。 
Web関係の場合、若い経営者が多く、「何のメリットがあるのか」「入会すると儲かるのか」という話になる。そこで、JCの理念をいうと、一歩引いてしまう。
(萩原先輩)
そういうタイプの経営者のいる業種に対象を広げたのはわれわれなのだから、その人たちを勧誘する方法を考えなければいけない。
(新里先輩) 
もし、知らない人にJCや印刷部会に入ると儲かるかと聞かれたら、確実に儲かるというべきだ。少なくともここにいる人でJCに入って損したと思っているは一人もいない。人間としてプラスになるものが多く、人生にとって儲かるんだ。
組織の活性化に一番大事な根幹は名簿である。名簿をきちんと整備して皆に伝えること。メンバーの情報がないとコミュニケーションのとりようがない。日本では個人情報保護法の施行以来、過剰反応したマスコミ報道に学校などでは名簿の発行を取りやめるケースが増えているが、法律の解釈を間違えている。
そういう意味からも、ぜひ、なるべく早く部会の名簿を作ってもらいたい。
もう一つは、入会するまで印刷部会の存在を知らなかったという話がでたが、知らなかったら入りようがないので、今の時代はWebなどを上手に利用してPRすべき、興味のある人に上手にレスポンスできる仕組みを作ってもらいたい。
(江端先輩) 
名称変更した理由も理解できるが、もともと印刷部会で育った人間としては少し淋しい。印刷部会の中だけでも会員増強の方法はあったのではないか。名簿の発行は賛成である。私も部会長時代に少しでも仕事に役立てばと思い名簿を作った記憶がある。
会員拡大については、いろんな方法があるとは思うが、現実問題としてやはり一人が一人増やすという熱意が大事ではないか。まずは今年の役員から実践してもらいたい。入会すれば必ずJCのよさがわかってもらえるはずだ。
(新里先輩)
このような時だからこそ、先輩に手紙を書いて後継者の入会をお願いするのもいい。

 
 最後に中原部会長からひと言お願いします。
(中原)
今日は先輩からいろいろな貴重なアドバイスをいただき、われわれ現役が基本的なことができてなかったことが最終的に現在の状態に辿りついているような気がしている。諸先輩の当部会にはいってないJCメンバーの刺激になればと思う。これを機にさらに多くのメンバーの意見を聞いてみたいと思う。