事業報告

部会長対談

勝負から学ぶこと

ボクシングはトレーニングや試合前の減量など、想像を絶するほど過酷でストイックさを求められるスポーツ。特にプロの世界は、厳しい修行期間を経てプロテストに合格しても、成功する選手は一握りという厳しい職業だ。元世界2階級王者(WBC世界ストロー級、WBA世界ジュニアフライ級)の井岡弘樹さんは引退後もトライアスロンやマラソンなどの競技に果敢に挑戦する一方、現在、井岡ボクシングジムの会長として後進の指導や人々の健康維持に貢献している。井岡さんと「勝負から学ぶこと」をテーマに語りつくす。

 

出席者(敬称略)

井岡弘樹
(1969年産まれ40歳)
井岡ボクシングジム会長
WBCストロー級・WBAジュニアフライ級元王者

久保井伸輔
(1972年産まれ36歳)
久保井インキ株式会社 専務取締役
日本青年会議所メディア印刷部会 第47代部会長

 

 

◇プロボクサーとして

久保井ボクシングを始めたきっかけは。

井岡両親の影響もあったんですが、ボクシングは個人競技なので、勝っても負けても自分の責任というのが性分に合っていた。それで中学一年生のとき、赤井英和さんにあこがれてグリーンツダジムに入門しました。

久保井プロボクサーになることは大変難しいことだと思います。十代の若さでどのように困難を乗り越えましたか。

井岡まずボクシングが好きだったから、さほど困難とは思わなかった。家が裕福ではなかったから、ボクシングでお金を稼がなければならなかったのです。 中学を卒業してすぐにジムに入門したのですが、自分でアルバイトして生計を立てていました。 目的があったから、苦労とは思いませんでしたね。同じ年代の人たちが学校でクラブ活動や恋愛をしているときも、自分はひたすらボクシングに打ち込みました。だからこそ、今の自分があるのだと思います。

久保井プロボクサーで生計を立てていける方は、少ないのでは。

井岡(ボクシングだけで)飯が食える人は一握り。100人に1人ほどでしょう。それだけ厳しい世界。日本王者になれば、ある程度やっていけるかもしれないけれど、それでも人気が収入を左右します。お客さんに応援してもらえるようなボクサーにならないとやっていけない。 プロボクサーの大半は、例え世界ランカーになってもアルバイトしながらボクシングを続けているのが実情です。

久保井日本王者になったころには、ある程度の目標は達成したわけですよね。

井岡まだまだでした。目標を高くおいていたので、一度や二度防衛するくらいでは決して満足できなかったから。

久保井私が高校生のころ、井岡さんの人気は抜群でした。当時、大阪府立体育館で井岡さんの試合を観戦する機会を頂いた事があり、試合を生で観戦して、その強さと迫力に驚いた記憶が残っています。

井岡最近はおい(井岡一翔選手)が頑張っています。いまはライトフライ級で、3階級制覇を目指しています。日本には3階級を制覇した選手はいないので期待しています。

◇勝負から学ぶこと

久保井一翔選手にとっては受け継いだDNAに加え、努力できる環境、精神力が良かったのでしょう。 ボクシングは、勝ち負けすべてが自分の責任だからから好きだとお話されていましたが、試合で勝った選手、負けた選手にはどのような言葉をかけるのですか。

井岡勝った選手には、「お前の実力や」とたたえます。負けた選手に対しても「よう頑張った」と声をかけてやります。 試合で負けても、本人は一生懸命頑張ったわけですし、悔しいでしょう。練習した分、(負けたときの)ショックは大きいはずですから。

久保井負けたときの立ち直り方は。

井岡練習するしかないです。強くなるためには、もう一度頑張るためには練習しかありません。勝ちたいという選手は、みんな限界の心拍数まで自分を追い込んで練習しています。 中には中途半端な練習で自分を甘やかしている選手もいますが、それでは決して強くはなれません。

久保井われわれ日本青年会議所(JC)では、わんぱく相撲大会を開催しています。「勝つ喜びと負ける悔しさ、努力すること苦しさに耐えること、敗者への思いやり」を青少年の健全育成の観点から学んでもらおうというものです。 私自身も強く感じるのですが、勝つばかりでなく、負けから学ぶことも重要だと感じます。全国大会は25回を数え、約5万人の小学生が参加します。地域社会に浸透しており、JCの主要事業としても定着化の方向にあります。

久保井それと井岡さんは現在、大阪経済大学に通っていらっしゃいます。なぜ、今にして学生をやろうと。

井岡僕は中学校を卒業してすぐボクシングの道に進んだので、高校も行かなかったでしょ。周囲の人たちが経験していたことを経験できなかった。 それで、今からでもできることはやってみようと考えました。まず勉強したいと思ったので、高校に入学して2年前に卒業しました。 大学に通い始めたのも同じ理由です。いまの目標は卒業することです。

久保井なるほど。社会人になってあらためて勉強するというのは、時間的な制約なども多いでしょうが、素晴らしいことだと思います。 同じ経済人としてお聞きしたいことがあります。井岡ジムを経営するうえでの苦労話を伺いたいのですが。

井岡最初は練習生が少なく、軌道に乗るには時間がかかりました。

久保井井岡さんといえどもですか。現在、井岡ボクシングジムは全国のジムの中で練習生の人数がもっとも多いといわれています。井岡ジムにはプロボクシングコースとダイエットコースがありますね。

井岡もちろんダイエットコースが主流です。プロボクサーになりたい人は、ダイエットしたいという人より少ないですから。 ダイエットしたいというは一般の人。軽く心拍数を上げる方法をご存じないのです。急に心拍数を上げるのは危険ですから、ジムでは適切なトレーニング方法を教えます。 老若男女問わず、皆さん目標を達成していますよ。

久保井ボクシングを、ダイエットや健康というテーマにつなげたのは井岡さんの功績ですね。いま、当時の井岡さんのような気持ちでジムに入門してくる人はいますか。

井岡いろいろタイプがいます。中には、スパーリングでちょっと殴られただけで、次の日から来なくなる子もいるし。逆に、「こいつは違うな」と思わせる子は、スピードとか一見した感じでわかりますね。根性のあるなしは、練習時に心拍数を上げるか、上げないかでわかります。

久保井井岡さんは名トレーナーであるエディ(・タウンゼント)さんの最後のまな弟子なのですが、エディさんについて一番印象に残る点は。

井岡練習の厳しさです。普段は優しい人なんですが、練習は厳しかったです。いろいろと怒られましたが、大好きでした。 あんなすごい人は、もう出てこないでしょう。 僕の防衛戦が1月31日だったのですが、エディさんは僕が試合に勝ったことを知ってから、2月1日の深夜に亡くなったんです。 会場までベッドを移動して見に来られて、その後、試合中にこん睡状態になって救急車で病院に搬送されて。後半のラウンドでエディさんが息を吹き返すという奇跡が起きたとき、それまで僕は不利だったのですけれども追いつけました。そして最後のラウンドで勝敗が決まる状況で、KO勝ちしたのです。 試合後、病院に駆けつけて勝ったことを報告したらエディさんもわかってくれて。

久保井思いが強ければ、魂もつながるんですね。 いつごろから世界王者を目指していましたか。それと世界王者になるには、何が必要なのでしょう。

井岡入門当初から目指していましたね。 王者になるには、100%の練習をしなければいけない。心拍数を210(通常の人間の限界は1分間に200といわれる)くらいまで上げて練習に打ち込まないと。

久保井日本王者、世界王者、2階級制覇、ジム経営とすべて夢をかなえていますよね。ある意味、極めたのではないかとも思いますが、次の目標は。

井岡僕は3階級制覇したかったですから、「極めた」という気持ちはこれっぽっちもありません。目標を達成できなかった分、次は余計に頑張れるのです。もし、目標を達成してしまっていたなら、慢心して失敗しているかも知れない。 負けたことも、そのときは悔しいけれど、逆に経験だと思っています。

◇JCメンバーへのメッセージ

久保井最後にJCのメンバーに向けてメッセージをお願いします。

井岡経営者の方やそのご子息もいらっしゃると思いますが、成功するには他人以上に頑張ることですね。例えば、だれよりも早く出社して仕事するとか、たくさん本を読むとか、猛勉強しなければいけないでしょう。成功するためには、明確な目標を立てることが必要だと思います。 次に強い気持ちを持つこと。ダメと思ったらダメです。何事にも、あきらめずに絶対にやり抜くという強い気持ちで臨むことが大事だと思います。